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2015年5月号 「わたしの内に迷いの道が
あるかどうかを・・・(詩編 139.24)」
主任司祭 カレンガ神父

 4月12日、被昇天の聖母宝塚教会で、私の初めてのミサに積極的に参加して頂いた皆さんに感謝します。そして、ミサ後の歓迎会で、皆さんの歓迎の言葉は、とても温かく印象的でした。
 昨年12月の事だったかと思います。私どもの会である淳心会の日本地区の地区長から、「司教様はあなたを、宝塚教会の主任司祭として任命したいそうです。前向きに検討して下さい。」と言われた時に、私は、すぐこの教会の様子をホームページで拝見しました。4年前に、宝塚にある黙想の家に行かせて頂きましたが、この宝塚教会を訪ねるチャンスはありませんでした。 それから、私は、何も知らないまま、マリア様のように、戸惑いながらも、共にいてくださる神様を完全に信頼して「ok」を出させて頂きました。
 人事異動が正式に発表された後、早速、宝塚教会の議長団と何人かの方が姫路教会に挨拶に来て下さり、私は、大変嬉しく思いました。 その後、前主任司祭であるパスクアル神父様との打ち合わせのために伺った時、初めて、皆さんと神様との約束の場である聖堂にて、心の中で祈りを捧げる事が出来ました。私は教会に来る途中、電車の乗り換えでちょっと迷いました。2回目、荷物を運んだ時も、「車のナビちゃん」の導きだったにも関わらず、また再び迷ってしまいました。宝塚教会は迷う所じゃないと、どなたかに言われたこともあります。しかし、皆さんが迷うはずのないところでも、私は迷います。その意味で、いつも神様に「御覧ください/わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしを/とこしえの道に導いてください。(詩篇139.24)」というお祈りを捧げています。皆さんもこの祈りを自分の祈り、宝塚教会共同体の祈りにしてはいかがでしょうか。
 いろんな意味で成長しているこの共同体を見た時に、パスクアル神父様を始め、歴代の主任神父様方に対して感謝の気持ちでいっぱいになります。創立55年、この教会の歴史の歩みの中で、振り返ると、様々な迷いもあったでしょう。ちょうど今、大阪大司教区は、新しい大司教様のもとで、新生計画の20周年の歩みを振り返っている時期です。宝塚教会共同体も、新しい司牧者のもとで、過去に対して感謝と反省、そして未来に向かって、希望と勇気を持ち、永遠に迷わない神様に完全に信頼して立ち向かいましょう。
 最後に、私は、宝塚教会での初ミサ後に、入院している一人の淳心会の神父様と一人のシスターのお見舞いに行って来た事をお伝えします。そのシスターは余命の宣告を受けており、今、全てを神様に委ねて生活しています。神様に全て委ねられたシスターは、日に日に元気になっており、以前と比べて、食欲の出ている姿を診た掛かり付けのお医者さんは、「神様は迷っている」とシスターに告げたそうです。このことは、私たちから見たら、神様は迷っているなと思うかもしれませんが、神様からしたら、決して迷いではありません。ご自分の計画にかなっていることなのです。私が迷っても、迷わない永遠の司牧者である神に信頼し、恐れないで歩む教会共同体となりますように、この詩篇は皆さんと共に捧げたい祈りです。
 主の平和があるように、この教会共同体に。

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