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私が宝塚教会に赴任して早くも一年が経とうとしています。その間、神の御摂理によって、いつくしみの特別聖年と2016年サル年を迎えられたことは、皆さんと共に感謝したいと思います。
この間、短い時間ではありますが、全世界に広がる教会や、大阪教区の動きを読み、また、宝塚教会のミサや評議会を含め、行事の時の皆さんの顔を読みながら、復活祭後にどんな教会を目指して歩んでいったらよいか、私なりに方向づけを考えてみました。私たちを導いてくださっている神に感謝します。
今から2年前に、教皇ベネディクト十六世が定めた「信仰年」(2012ー2013)を過ごしました。その実りとして私たちは2014ー2015年度「信仰を深めながら、福音の喜びを宣べ伝えましょう」というテーマを掲げ歩んで参りました。今まで以上に多くの方が、積極的に教会に関わるようになったのではないでしょうか。
使徒パウロと共に、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」(フィリピ人への手紙1・6)
途中であきらめてしまうと、建物の土台を築いただけで完成できなかった人に似てくるのです。
「見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。」(ルカ14・29ー30)
ここまで築いた土台を次に繋ぐために、サル年から3ザルの知恵と、「いつくしみの特別聖年」からいつくしみ合う心を大いに参考にしてみては如何でしょうか。
「見ザル」、「言わザル」、「聞かザル」と言われても、聞いてしまったり、見てしまったり、言ってしまったりするという経験を、だれもが持っていると思います。
そこで、「裁かザル」というサルを無理につくってみたのですが、それでも、やはり私たちは裁いてしまうのです。では、いつくしみ深い神に学ぶことなら如何でしょうか。
「御父のようにいつくしみ深い者に。」(ルカ6・36)
兄弟を裁くより、進んで兄弟の欠点や過ちをゆるしましょう。私たちは誰でも欠点を持ち、過ちを多々犯します。強いて言えば、私たちの長所にも欠点があり、私たちの短所にも美点があります。長所と短所を持っている人間同士が作る魅力的な共同体、「よろこび」を福音とする共同体を作るために、私たちはいつくしみ合うことが大切になります。
現代社会は、技術の革新的な進歩に人の心がついていけない状態が続いています。インターネットや携帯電話の普及で人の心が傷つきやすい社会になっているのではないでしょうか。
「罪人」の集いである教会、神の家族の人達もその例外ではありません。例えば、そのつもりではなかったのに…メールや言葉による「テロ行為」を起こし、兄弟姉妹に不安や恐怖を与えてしまうこともあります。教会の中でもそのような「つまずきは避けられないのです。」
(ルカ17・1)
つまずいた人をどう戒めるか、イエスは次のように述べています。「兄弟があなたに対して罪を犯したら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。」(マタイ18・15ー17)」。
「いつくしみの特別聖年」を機に、2016ー2017年度のテーマ『隣人を裁くあなたはいったい何者なのですか (ヤコブ4・12) いつくしみあう共同体へ』
を掲げて歩みましょう。老いも若きも、皆がいつくしみ合うことによって生かし合える共同体を作りましょう。そのためにも、大阪大司教が大阪教区の私たちに勧めている「いつくしみ」の関係を築いてみましょう。 (2016年
教区新生の日のメッセージ参照)
神の「いつくしみ」の関係の下に置かれている私たち宝塚共同体が、お互いに「いつくしみ」の関係を築くことができますように。信徒同士の関係、司牧者と信徒との関係、委員会同士の関係、評議会と委員会との関係、司牧者と評議会との関係、教会を訪れる人との「いつくしみ」関係など、お互いに生かし合う関係になれますように。
「いつくしみ」の関係、お互いに生かし合う関係、その土台を心に留めてみましょう。
① 人の心は、技術の進歩にはついていけないこと
② わたしの長所にも欠点があり、わたしの短所にも美点があること
③ わたしは、メールや言葉や態度で「テロ行為」を起こす力を持っていること
④ 人を裁かないこと
⑤ 人の欠点や過ちを高らかに言わないこと
⑥ 人の悪口を言わないこと
⑦ 個人の祈りの時間を持つこと
⑧ できるだけ共同体の祈りや行事に心を込めて与ること
⑨ 人と笑顔で接すること
⑩ 聖書の神に親しむこと
⑪ よろこびを奪わない・よろこびを奪わせないこと
私たちのゆるし合いからの輝きで、キリスト者に託された使命を果たすことができますように、しみも汚れもない教会の母マリア様の取り次ぎを願いましょう。 |
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