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昨年12月8日に始まった「いつくしみの特別聖年」は今月20日に閉年を迎えます。皆さん、この一年を、神の子としてどのように過ごして来たか、振り返ってみましょう。身体的、霊的ないつくしみの業のリストを鏡にして、自分を振り返ってみると、自分の限界、惨めさ、弱さや心の狭さなどに気づきます。このような「わたし」を神様はどのように見ておられるのかという思いを募らせる方は多いのではないでしょうか。
このような「わたし」は、イエス様の山上の説教で語られたみ言葉と、パウロのみ言葉に慰めと力を頂きます。「心の貧しい人々(心から自分の限界、惨めさ、弱さを知っている人々)は幸いである。
(マタイ5:3)。」 「(…)わたしは弱い時にこそ強い(…) ( 2コリント12:10)。」
弱い私たちの、その強さは、イエス様との繋がりから来ると言えます。イエス様が言われるように、 「…わたしを離れては、あなたがたは何もできない(…) (ヨハネ15:5)。」
その繋がりを保つために、私たちに御聖体(ミサ)が与えられています。積極的にミサに与ることによって、私たち一人ひとりの罪が清められ、そして弱さが強さに変えられます。ゆるされたという強さを頂いて派遣されていきます。
洗足式の典礼が示すように、私たちを清めるために、イエス様は私たちの奴隷となられました。こうして「ゆるし」を与えるために遣わされて行く私たちに模範を示して下さいました。ミサにおいて神様に「ゆるされ」、「いつくしみ」に繋がり、イエス様に結ばれることによって、私たちはその使命にも与るものとなります。
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。(ヨハネ13:14〜15)」
「いつくしみの特別聖年」を終えてからも、イエス様のように、「いつくしみ・あわれみ・愛」の内にあるミッションを心がけて参りましょう。そしてイエス様から私たち一人ひとりへの宿題として受け止めて共に歩む事ができますように。
「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい (マタイ9:13)」。
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