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イエス様の降誕祭(クリスマス)の次の主日に教会は聖家族を祝います。今年、クリスマスの準備( 待降節、アドベント)として4週間にわたり、私たちは家族について黙想してきました。家庭をテーマにした教皇フランシスコが出された使徒的勧告「愛のよろこび」の言葉が黙想の糧でした。「愛のよろこび」は、宣教をテーマにした「福音の喜び」の続きと言っても過言ではないと思います。今月は、この二つのテーマを結びあわせて宣教における家庭の役割(使命)について考えてみましょう。
言うまでもありませんが、教会の使命は宣教です。教会の使命は家庭の使命でもあります。キリスト者の家庭は教会のミニ版と言われています。家庭には、舅、姑、ならびに配偶者の全親族が含まれています
(愛のよろこび)。その広い意味で日本のすべての家庭には未受洗者がいると言えるのです。同時に皆さんの家庭が常に宣教中であり宣教の「素晴らしい」機会に恵まれていると思います。
宣教は最初の宣教師であるイエス様に学ぶことから始まります。イエス様の宣教活動の中心はすべての人に手を差し伸べることです。「神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて
(詩篇80の答唱)。」家庭で宣教教育を与えることはすべての人、特に弱い立場に置かれた人に、「もし」とも、「でも」とも、「たぶん」とも言わずに手をさしのべる教育を与えることだと思います。すべての人に手をさしのべることをキリスト者の家庭のブランドとなることを願いましょう。
開かれた家庭を築くことによって開かれた教会、要するに宣教する教会の発展に繋がるのです。そのためにすべての人の父である神に結ばれることが大事です。家族で食前食後の祈りを唱え、寝る前に、起きた時に、家族で祈り、家族で困っている人と共に生き、その人に手をさしのべることを身につけてみてはいかがでしょうか。「家庭は豊かな関係のある生活を学ぶ素晴らしい学校です。(…)その輝きは、信仰(信頼)、愛、希望のある交わりの中に、他の人を招き入れます(Youcat
「カトリック教会青年向けカテキズム」368番)。イエス様は、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる(マルコ3:34〜35)。」
「世界のみな友達、兄弟、隣人…」と言う歌を、宣教者として、子供の気持ちで毎日の祈りにしてみてはいかがでしょうか。
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