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第二バチカン公会議はすべてのキリスト者は宣教者であると述べられました。「すべてのキリスト者はどこに住むにしても生活の模範とことばのあかしをもって洗礼を通して身に着けた新しい人と、堅信を通して強められた聖霊の力を明示しなければならない。そうすることによって他の人々は、彼らの優れた行いを配慮して御父をあがめ、人間の命の真の意義と人々の間にある交わりの普遍的な絆を、より深く理解するようになる 「教会の宣教活動に関する教令11番」。
私たち一人ひとりの第1の宣教活動はイエス様に従うことではないでしょうか。イエス様は時代、職業、年齢や性別などを超えてすべての人々を招いています。「わたしに従いなさい
、わたしのもと「ところ」に来なさい(マタイ9:9; 11:28〜29; 16:24; ルカ9:59; ヨハネ1:43; 7:37)」。
イエスの招きを受けた金持ちの青年(マタイ19:16〜30)に目をむけましょう。金持ちの青年はお金だけではなくて多くの長所に恵まれていました。自分の霊的な貧しさを認める謙虚さ(イエス様をよい先生と呼んでいます)。聖書のことばを知る恵み(マタイ19:20)。しかし、それらの長所は表面的あるいは気持ちのレベルにとどまっています。奥深く、魂のレベル、要するに真のレベルまでにはまだまだ程遠いとイエス様に指摘されました。イエス様のこのさらなる招き「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい(マタイ19:21)」は、ペトロへのこの招き「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい(ルカ5:4)」と同樣だと考えたらよいと思います。
「宣教者」 となるという公会議の教父たちの招きはイエス様の招きです。その招きに応えるかどうかは、私たち一人ひとりの選択とプライオリティー(優先順位)にかかっています。金持ちの青年は、宣教(イエスに従う)よりも、ビジネスとビジネスライク(表面的)を選び、それらを自分のプライオリティー(優先事項)にしました。新再宣教を掲げて歩む大阪教区の一人として、新しい高山右近となり、再び、宣教者となることを選び、イエス様に従うことを自分のプライオリティーにしてみては如何でしょうか。
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