|
教皇フランシスコの定めにより、カトリック教会では毎年、王であるキリストの祭日の前の主日は貧しい人のための世界祈願日とされています。教皇フランシスコは、貧しい人々はいつも私たちと一緒にいることを意識して、この祈願日を教会に残したかったのではないでしょうか。聖マザーテレサは、ご聖体と貧しい人々との結びつきを察したように言われました。「
わたしは、毎日二つの聖体拝領をします。第一の聖体拝領は早朝のミサの中で。第二のそれは、その後、街の中で」です。「ミサは教会をつくりあげますと同時に、教会はミサを作りあげます」という教えに加えて教皇フランシスコは、教会は貧しい人々のためにあると教えます。ご聖体(ミサ)を中心とした教会と貧しい人々のための教会をどんなにイエス様は願っていることか。
「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる(ヨハネ12:8)」 という2000年前のイエス様のことばは、今でもどこの国でも否定できません。低所得国および低中所得国の貧しい人々の方が多いものの、高所得国にも貧しい人々がいます。前者のことを「貧しいラザロ」と呼び、後者のことを「隠れラザロ」と呼んでよいでしょう。いずれの貧しさも機会のギャップに由来しています。それは主に経済的構造から、ある国々あるいはあるグループの人々を排除することによって生まれるギャップと言えます。その中において教会の私たち一人一人のできることは?
アメリカの元大統領アブラハム・リンカーンの次のことばの中で、できることのヒントを見出せるのではないでしょうか。
「金持ちを破滅させる事によっては、貧乏人を助ける事は出来ない;強い者を弱くする事によっては、弱い者を強くする事は出来ない; 節約をさせないことで、繁栄をもたらす事は出来ない;雇い主を引き降ろす事によっては、雇われ者は昇格することが出来ない;階級間の憎悪をあおる事によっては、人々の間の友愛を深めることは出来ない;主導性と独立心を奪うことによっては、人間性と勇気を築き上げることは出来ない;自分で出来る事とすべき事をしてあげる事によっては、結果的に助けてあげる事は出来ない」と。
私たちキリスト者が経済的構造から排除され続けている人々のために、より公正な社会、より開かれた社会を求め、政治家に圧力をかけつつ、貧しい人々の主導性と独立性を育む手助けを常に考え、行動を起こすこととしましょう。
|
|
|
|
Copyright(C) 2011 Takarazuka Catholic Church All Rights Reserved. |
|
|