カトリック宝塚教会 月報 巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ

2020年 12月号
2020年過ごすことができました。神に感謝。
主任司祭 サック神父

   12月が近づきますと、さすがに寒くなりました。教会暦の待降節に合わせたかのように、JRや阪急電車の駅や、人通りの多い道路には、既にクリスマスツリーを飾り、クリスマスの雰囲気を先取りしています。また、一年の終わりにあたり、忘年会やあるいは、家族とともに良いお正月を迎えるための準備等が始められます。そしてまた、この1年の区切りを機会に、全てに感謝、新しい年の計画を立てることもなされると思います。
 通常のこのような12月の過ごし方に加えて、2020年の待降節は、新型コロナウイルス感染症の最中にあり、数多くの困難に直面しています。あるいはこれからもっと重大な出来事が起こるのかも知れません。今年の待降節のことは、教会の歴史にも残ることでしょう。
 私たちカトリック信者は神様が与えて下さった恵みを知っており、感謝することを知っています。私(サック)も、この一年を振り返ってみて、時には喜びの中で、時には悲しいことに出会い、苦難なことにも出会って来た自分があると気づきました。しかし、私は、多少の体調の崩れはありましたが、みなさまの支えをいただき、自分の力で息を吸って、毎日、自分の足で歩き、自分で食べ、飲み、寝ることができています。だから、“神に感謝”と言う言葉を、 “口癖”のように用いねばなりませんでした。
 私たちの信仰の表現は、 “神に感謝”することで表わされると思います。
旧約聖書の詩編には、神への感謝があちこちで表現されています。「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」(詩編118:感謝の行列の歌)に倣って、私達の主に感謝しましょう。 また、詩編には「痛みに耐えかねた人の祈り」詩編13、「重病から救われた時の感謝の祈り」詩編30、「悩みの訴えと救いの感謝」詩編31もあります。今の私達の祈りでもあります。
 預言者イザヤは、「わたしは心に留める、主の慈しみと主の栄誉を。主がわたしたちに賜ったすべてのことを。〜〜」(イザヤ63:7)と、神様のいつくしみがいつも私たちに注がれていることへの“神に感謝”を示しています。
 聖パウロの書簡は、いつも、“神に感謝”を示すことから始まっています。「わたしたちは祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。」(テサロニケ第1の手紙1:2)、と。また、聖パウロは、「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ第1の手紙5:18)と私たちに呼びかけます。
 そして、聖パウロは、「わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。」と、私たちの代わりに、神様に感謝しています。これは、大いに、私たちの模範になります。
 聖母マリアは、天使ガブリエルのお告げに、「はい」と答えました。そのすぐ後にエリザベトを訪問したときのマリアの挨拶の言葉「マグニフィカ」は、神様へのあふれるばかりの感謝の心を表す讃歌なのです。聖母マリアは、私たち一人ひとりに“神様に感謝”のこの讃歌を一緒に捧げましょうと呼びかけています。私たちは、聖母マリアに心を合わせて、神様に感謝し賛美を捧げましょう。
 “神に感謝”の極めつきは、イエス様ご自身が、神でありながら、いつも、御父に感謝されている姿を示されたことです。4つの福音書を、イエス様ご自身が示された“神に感謝”の思いを教えていただく目的を持って、読んでみましょう (例えばヨハネ11:41)。
 この一ヶ月は、私たちが感謝を込めて、悔い改めの究明をすることが大切です。この1年間を通して何が出来たか、まだ出来てないことなどを振り返る機会となります。特に、他者との関わりを深めることが出来たか、ひとり、ひとり、問いかけることが大切です。そのことは、神様との関わりが深められたかを知ることを意味します。 
 神様は、この瞬間にも、私たちが悔い改めて、互いに愛し合うことができるよう呼び掛けています。

 

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