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12月という月。和風月名では師走。それは、師匠といえども、趨走(すうどう、走り回る)する月と名付けられています。何にいそがしいのでしょうか?と、考えたことがありますか? 社会生活を営むわたしたちは、自宅の掃除からはじまり、周囲の人々との交わりのなかでの“お掃除”もしたくなり、その分、1年の極まりのこの時に、健康を気遣う言葉や感謝の言葉が行き交うときとしても、忙しさを感じるのかもしれません。さらに、わたしたちカトリック信者にとっては、この12月は、西暦(AD)元年が始まった月、新しいキリスト教が始まった月として、つまりイエス様のご降誕を喜びのうちに迎える準備に忙しい月なのです。では、どのような準備をするとよいのでしょうか?
アダムとイヴの作った神様との溝を埋めるために必要な、つぐない主の誕生を、その後に生を与えられてきたすべての人々が待ち望み続け、準備しつづけた旧約の時代(BC)がありました。そして、今、生を与えられている私たちは、今年のこの日を迎えるために、自分が作った神様との溝を埋めるために必要なことを準備する時なのです。
「先生、永遠のいのちを得るには、どのようなよいことをすればよいのでしょうか」。こう尋ねる若者に、イエスはまずはじめに、神とは、「よいかたはおひとりである」といわれるかた、卓越した善、あらゆる善の源泉であるかたであるとみとめなければならないとお答えになります。それから、「もしいのちを得たいのなら、おきてを守りなさい」といわれます。そして質問者に、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という隣人愛に関する掟を思い起こさせられます。そのうえで、これらの掟を、「隣人を自分のように愛しなさい」という肯定形のことばでまとめられます。(カトリック教会のカテキズム(カ) 2052)
これは「十のことば(十戒)」に関するイエス様の言葉ですが、この「十のことば(十戒)」は、旧約時代に神自身がみ姿を現してのべられたものです((申命記5・4)(カ)2059)。そして、この「十のことば」は、神の法を要約し、宣言するものです((カ)2058)。 そして、イエス様は、この「十のことば」を、踏襲されるのです((カ)2054)。このことは、マタイ福音書の第5章で確認することができます。
マタイ福音書の第5章は、「言葉におけるイエスの権威」を示しますが、山上の説教(5章1−11)のあとに、「神の律法について」の項があります。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。ことごとく実現するであろう。(5章17−18)」
12月に入ると、典礼ではクリスマスの準備にはいります。私たちはこの「十のことば(十戒)」を基準にして、さらには「教会の掟」を加えて反省したり、許しをいただいたりして、暖かい馬小屋を準備することにいたしましょう。
みなさま、2021年もありがとうございました。新しい年が、私たちの教会も、一致のうちに、神の子の光を表すことができますように。
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