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皆さんは聖書を読んでいますか。聖書は家のどこにありますか。大切にしていますか。好きな言葉は何ですか。毎週のミサで聖書の言葉を聞きますが、それをどこまで覚えていますか。日々の生活の中で、聖書の言葉を思い出してください。
イエスは悪魔から誘惑を受けた時、聖書の言葉で答えられました。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」…「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」…「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。(マタイ4:4〜11)
イエスがヨルダン川で洗礼を受けて水の中から上がられた時、天がイエスに向かって開き声が聞こえました。
『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』(マタイ3:17)
イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山(タボル山)に登った時、雲の中から声がしました。
『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者。これに聞け。』(マタイ17:5)
聖書の言葉は力になります。聖書は何回でも読めます。その時々で心の響きが違います。神様のもとに立ち返るために、聖書の言葉をもっと大切にしないといけません。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯。」(詩編119:105)
ご聖体は大切にしなければなりませんが、み言葉無しにご聖体をいただくのはふさわしくありません。ミサの新しい式次第で、ご聖体をいただく前に私たちはこう唱えることになりました。
「主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。おことばをいただくだけで救われます。」
前田大司教様の紋章に書かれている聖書の言葉は「仕えられるためではなく、仕えるために」。酒井司教様のは「「愛に根ざして真理を語る」(エフェソ4章15節)。そして私サックの好きな言葉は「彼らのために、わたしは自分自身をささげます」(ヨハネ17:19)。
皆さんも一つの言葉を繰り返し読んで、味わって、黙想してください。聖書の言葉を前にして、静かに神様と向き合ってください。パンだけではなく、神様の口から出る一つ一つの言葉によって生きてください。
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