カトリック宝塚教会 月報 巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ

2023年 10月号
「ミサの意味とその恵みは?」
グエン・シン・サック神父

   感謝の祭儀 (the Eucharist = Holy Mass = Missa) は教会の信仰生活の頂点であり、恵みの源です。なぜなら、感謝の祭儀ほど偉大で価値のあるものはないからです。

 感謝の祭儀は、主イエスがご自分の死と復活の前に行われた二つの出来事の再現です。それは、主イエスが最後の晩餐の時に、聖体の秘跡と叙階の秘跡を制定されたことです。そして、次の日、十字架上でのご自分の死という偉大な供え物によって大祭司になられた記念でもあります。最後の晩餐で、主イエスはパンとぶどう酒をご自分の肉と血に変化させ、弟子たちに与え、「わたしの記念としてこのように行いなさい」(ルカ22・19)と言われました。まず、後継者である使徒たちにこの秘跡を与え、司教、そして協力者である司祭たちが毎日供え物を捧げて秘跡を再現し続けるように仰せになったのです。感謝の祭儀は主イエスが偉大な大祭司として聖体の秘跡を制定し、ご自分を十字架上の供え物として捧げられたことを再現するのです。

 最後の晩餐で主イエスはパンを取り、感謝を捧げ、割って、弟子に与えて仰せになりました(第1奉献文)。主イエスは全人類のためにご自分を捧げることを受け入れ、御父に感謝されます。ですから、感謝の祭儀の度に祭壇で、十字架上の供え物を通して、「キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです」(1コリント5・7)とあるように、「世の救いのわざを実現されるのです」(典礼憲章3)。

 主イエスは屠られる小羊のようにご自分を捧げ、十字架上で「兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た」(ヨハネ19・34)のです。前の晩に、弟子たちに杯を与えたとき、主イエスは「この杯はわたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」(1コリント11・25)と言われました。だから、感謝の祭儀には、いつも主ご自身がおられ、当時の人々の罪を贖われたように、今も贖い主として、私たちの罪を贖ってくださっているのです。十字架上で救いの血が流されたように、今もミサを通して、私たちを救うために血を流されています。ただ、それは秘跡的に行われているので、人間の目には見えませんが、教会は私たちに、救いの血について教え続けています。

 感謝の祭儀は教会の典礼の儀式を通して、主キリストが全人類の罪の贖い主として捧げられた供え物と最後の晩餐の出来事を、今も祭壇で再現しているのです。したがって、感謝のミサは、神様のみ旨にかなう最も偉大な崇拝であり、救いの儀式なのです。主キリストと共に、主キリストの取り次ぎによって、主キリストの司祭職に与る司祭 (ordained ministers) を通して、御父に捧げられているのです。
感謝の祭儀にはこのような大きな霊的な価値と意味があるため、一人ひとりの信徒はミサに与るよう招かれています。ミサを通して、私たちは主イエスによって、主イエスと共に御父に自分自身と、すべての苦しみ、悲しみ、弱さなどを捧げて、自分と他の人のためにゆるしと祝福を受けるのです。

 以上、感謝の祭儀の意味と恵みについて述べました。感謝の祭儀が「主と人類の契約」(典礼憲章10)と呼ばれる理由もここにあります。

 
   (夙川教会月報2018年9月号より転載)  

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