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「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイ7・12)イエス様のこのみ言葉は、黄金のように輝く規律であることから「黄金律」と呼ばれています。これは、マタイによる福音に出てくる「山上の説教」(5〜7章)を要約する役割を果たします。イエス様は、律法や預言者を廃止するためではなく、完成するために来られたと宣言し、その中に込められた神様の御心を様々な教えを通して説明してくださいました。そして、律法や預言書に対するすべての教えを貫く根本精神、すなわち、黄金律をもって圧縮して表現されたのです。
マタイによる福音の後半に出てくる「神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい。」というお言葉の後で、イエス様は言われました。「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22・39ー40)すなわち、イエス様による黄金律と愛に対する二つの掟は互いに一致し、愛の二つの掟につながります。そして愛は、使徒パウロのお言葉通り、愛は律法を全うするものです。(ローマ書13・10参照)
人間は誰でも他人に愛されたいと思っています。誰かに、例えば彼氏や夫に、彼女や妻に、変わった自分を認めて欲しいと思うものです。そうやって誰かに注目され、愛されているという確信は、日常を生きるために必要な要素の一つです。それで、イエス様はこうおっしゃるようです。「あなたも誰かに関心を与え、愛を与える人になりなさい」と。
結局、イエス様から受けたその愛をどのように分かち合うかによって、命に通じる狭い門が私たちの前に開かれることも、開かれないこともあるでしょう。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ7・13-14)
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