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コリントの教会の様々な問題を知っていた使徒パウロは、手紙を通して信徒たちを正しい道に導こうとしました。その中で何よりも先に出てくるのが共同体の一致に関する問題でした。手紙の後半で、霊的な賜物や典礼と集会の秩序について語る時も、共同体の一致が重要な基準になります。昔も今も、どんな国々でも、共同体の中にはA派・B派・C派など、互いに葛藤があるようです。ここ、カトリック宝塚教会はいかがですか。
私たちは、使徒パウロの手紙を通して、コリントの教会の信徒たちがどのような問題で分裂したのかを知ることができます。その時、彼らは、パウロについたり、アポロについたりしました。使徒パウロは言われました。「ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。」(コリント一3・4-5)
コリントの教会の信徒たちは、共同体の中で熱心に奉仕に努める人々だったはずで、それぞれの信念と信仰もあったはずです。使徒パウロとアポロは教会の信徒たちの世話をしながら、彼らの信仰のため、植えたり水を注いだりしました。(コリント一3・6-8参照) 信徒たちも使徒たちに協力して共同体という畑を熱心に育てようとした人たちでした。しかし、彼らを分裂に導いたのは、今までずっと行ってきた彼らの文化や慣習から始まりました。当時、著名人の名前は、ギリシャの社会慣習の中で非常に重要な意味を持っていました。同じ言葉でも誰が言ったかによって、人々を動かす力があるかどうかが判断されたためです。
兄弟姉妹の皆様、貪欲と快楽に没頭する時だけが、肉の人になるのではありません。それゆえ、使徒パウロは言われました。「相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。」(コリント一3・3) どうか、信徒の方々が各自の人生の場でイエス様と共に、神様のために力を合わせて働く者として、神様の畑として、神様の建物として(コリント一3・9)生きていくことができますようにと、祈ります。
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