7月4日の閉年ミサをもって聖パウロ年が終わります。
パパ様の願いに従って、一年間、全世界のカトリック教会の信者は聖パウロのことを思い出し、神様に感謝しました。
この一年のおかげで、聖パウロの熱心な信仰は、たくさんの信者の心に燃え続けていると思います。
今年も私達のパパ様、ベネディクト十六世からお願いがあります。
それは司祭のために一年を捧げることです。
なぜこのお願いを信者に頼むのでしょうか?
今年の6月19日は、聖ヨハネ・マリア・ビアンネ神父様の死から150年目の記念日です。
この神父様は全世界の神父にとって素晴らしい模範になりました。
“アルスの司祭”と呼ばれる彼は、フランスの小さい村、アルスの教会で主任司祭として働きました。
あまり高名ではなかったけれど、熱心に働いて司牧のための特別な恵みを受けました。
たくさんの信者がこの神父様を通して神様の助けを感じ、彼からゆるしの秘跡をいただきました。
聖人としていろいろな苦しみを受けましたが、祈りに基づいて諦めないで、教会のために、そして神の民のために、自分の命を死ぬまで捧げました。
パパ様は、この模範によって現代の司祭の生活を照らすために、“司祭の年”を祝うことを願いました。
現代は難しい時代です。
皆さんが知っているとおり、全世界にいろいろな神父のスキャンダルが広がりました。
このスキャンダルはたくさんの信者をつまずかせ、教会から離れさせました。
じつは、この問題は新しくはないのですが、現代に現れているので、教会は二度と偽善的な態度をとらないように、自らの責任を引き受け、歴史と社会に対して謝って、改心しなければなりません。
民を導く司祭が悪くなると、狼のような人になって、信者を滅ぼします。
全世界にこの問題のために悩んでいる信者が多いし、迷っている司祭もたくさんいると思います。
一人一人の司祭は自分の弱さを見ているけど、どのように回心して、キリストに従ってよい司祭になることができるのかを知りません。
受け入れることができない自分の寂しさ、祈りの不足、わがままな態度、貧しい人の苦しみに対する無関心、教会の冷たさと固さ、司教の支援の不足などは、現代司祭の問題だと思います。
私も司祭として、これらの問題をよく感じています。
パパ様は教会の第一の責任者として、回心するだけでは十分ではないと思って、全世界の司祭に楽観的なメッセージも伝えようとしています。
歴史の中で探したら、現代と同じような時代もありましたが、その暗い時代を福音の光で照らした聖なる司祭もいました。
聖ヨハネ・マリア・ビアンネはそういう人でした。
現代の司祭が、希望を失わないで、自分の使命を新たにして、諦めないで死ぬまで自分の命を捧げるように、一年間、皆が祈らなければならないと思います。
私は司祭として、パパ様の願いを深く喜んで、信者の祈りを願います。
どうぞ、皆さん、全世界の神父のために、お祈りください。
そして、司祭のよい模範によって、たくさんの若者が司祭への召命を感じて、神様と教会に自分の命を捧げることを願いましょう!
司祭の使命はとても素晴らしいと思います。
私は司祭になったことをまったく後悔しないで、かえって毎日神様に感謝します。
皆さんも私がキリストに従って、よい司祭になるように、祈ってください。

カトリック宝塚教会

カトリック宝塚教会月報 2009年7月号
司祭のための一年!

主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父