カトリック宝塚教会
カトリック宝塚教会月報 2010年6月号
信仰の養成の重要性

主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

水を受けない木は考えられますか?
水を受けない木は枯れてしまいます。
砂漠にある木は自分の中の水を守るために枝と葉ではなく、茨を作るので、木の下にできる影は小さいです。
信者の信仰を育てる水は、養成を通して受けられます。
信者の養成は雨と同じような恵みです。
しかし、砂漠と同じように雨が自然に降らなければ、木は必要とする水を受けられるように用水路を作らなければなりません。
信徒の信仰養成を調べると、一つのことがはっきり表れます。
それは信仰の養成の不足です。
信仰の不足ではなく、信仰の養成の不足。毎日曜日のミサに参加しても、幼児洗礼を受けた信者の中では、日曜学校の時代から何も勉強していない信者は少なくありません。
この信者は熱心に信じても、神様のことを深く感じても、自分の信仰の説明ができません。
この状態は困ったことではないが、信仰の素晴らしさを完全に味わうことを妨いでしまいます。
大人になって洗礼を受けた人は、はじめは入門講座を勉強しますが、入門講座が終わって、他の信者と同じように信仰の養成から離れると、信仰はだんだん固くなり、弱くなってしまいます。
カトリック教会の信者は、信仰の強い基礎を本当に必要としていると思います。
信仰の養成は専門的ではなく、研修でもありません。
奉仕をするための勉強会は特別な勉強ですが、その勉強では信仰の土台を強めることができないと思います。
現在、カトリック教会が本当に必要とすることは、完全な信仰の養成の計画です。
この計画は子どもから始まって、人生の最後までの計画です。
信仰を養成するための課題は三つあると思います。
それは“勉強”、“祈りと典礼”、“実行”です。
この三つの課題を通して、信仰は理解(勉強)、心(祈りと典礼)、世界(実行)と繋がります。
祈りと典礼だけを大切にすることは、信仰の生活の上で非常にアンバランスだといえるでしょう。
自分の信仰を理解できず、信仰のメッセージを実行しない信者は、福音書.のファリサイ人や律法学者と同じように偽善の誘惑に陥る人になってしまいます。
現代の社会は子どもから始まって皆忙しいですが、わたし達は信者として、自分の信仰を守るために、養成のプロセスをやめないで、教会の信仰養成グループを大切にしなければなりません。
皆さん、どのように自分の信仰を強めていますか?
もし、あなたがアンバランスだと感じるなら、これから信仰養成のグループに参加して、信仰の素晴らしさを味わってください。