聖霊降臨の祝日と共に復活節が終わりますが、その前後の日曜日にいろいろな神秘を祝います。   この祝日はキリストの昇天、三位一体の主日とキリストの聖体です。

  よく見れば、典礼の祝日には意味があります。キリストは復活して、昇天なさいましたが、この世を去る前にご自分の息吹を与えてくださいました。この息吹を受ける教会は、神様の神秘を思うとき、父であり、子であり、聖霊である神様として考えます。また、私たちが健全に神様に向かうことができるように、そして信仰の道を歩けるように、命の糧を与えてくださいました。

  神様は神秘ですが、隠されている神秘ではなく、この世を造って、守り、完成してくださる神秘です。神様の神秘はこの世の中に現れ、私たちはいろいろな方法でそれを味わうことができます。
  キリストの昇天の後、弟子たちの心の中に寂しさと不安が残りましたが、聖霊はアダムの体に入ったように、教会の体の中に入りました。そのため、教会は神様の生きる神殿になります。教会はキリストの神秘的な体です。父から生まれる教会は命の源になります。聖霊の息吹で励まされた教会は信仰、希望と愛の流れになります。また、キリストの体と血を通して救われた教会は、救いの道具になります。

  私たちは現代の社会に神様の神秘を示すために選ばれました。私たちはたくさんの恵みと祝福を受け、神様を見なくても信じていますが、たくさんの人は神様のことを遠くに感じています。教会はキリストに従って、その神秘を実現し、人々に直接に示さなければなりません。典礼だけではなく、社会活動、研修、広報など他の様々な奉仕職を通して現代の社会に神様の神秘を示しましょう。

人々のために、救いの神秘の春になりますように。


カトリック宝塚教会

カトリック宝塚教会月報 2011年6月号
春の神秘

主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父