秋になり山を見るとその美しさで心が満たされます。しかし、美しさは消えやすいことです。秋の色は緑、黄色、赤ですが、冬になるとグレイのマントが広がります。こうして、命は来年の春に輝くために、秋から準備をします。生き残るために命は変わらなければなりません。その変わることは大変なことですが、同時に美しいことではありませんか?
人間は自然の中に創造された命です。人間にも自分たちの季節があります。カトリック教会の典礼は各季節に合わせて色々な祝日を作りました。11月の祝日は命の変化を示しています。11月の祝日の中に「諸聖人」「死者の日」と「王であるキリスト」があります。これらを通して、永遠のエルサレムにおられる聖人から待降節を過ごす信徒まで、みんな一つになって、互いに祈って、神様に感謝します。
11月1日にカトリック教会は諸聖人を思い出し、彼らたちの模範を通して神様をほめたたえます。聖人は私たちが天国に入るために、正しい方法を教えてくださいます。諸聖人の祝日を通して私たちは永遠の教会の門を叩いて、天国に入るために、聖人の取次ぎを願います。
聖人の取次ぎを願うことと同じように、死者のために祈ることは、「聖徒の交わり」の結果です。聖人の足跡を見る時、彼らのよい行いを認め、天国に行くためのよい模範を学びますが、一般信者が亡くなる時、直接に聖人になることは難しいです。誰も自分一人で天国に入ることは困難です。天国に入るためにはキリストの救いと兄弟姉妹の交わりが必要です。この交わりは愛に基づいているので、死に滅ぼされません。その繋がりに基づいて、死者のために祈ることはとてもよいことです。しかし、この祈りは死者への祈りではなく、死者と聖人共に神様への祈りです。
王であるキリストは私たちと一つになって、聖徒の交わりの中心です。キリストは聖人を救って、死者を照らし、私たちを導いてくださいます。こうして、永遠の教会(聖人)と霊魂の教会(死者)とこの世の教会(私たち)が一つになって互いに祈って、最後の日をよろこんで待ち望みます。秋に木の葉が落ちると同じように、私たちは古い葉を捨て、裸になって来年の春の準備を始めましょう。秋は悲しい時ではなく、希望の時です。この希望を持って、聖人と死者と共に永遠の春のための心を整えましょう。
カトリック宝塚教会月報 2011年11月号
聖徒の交わり
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父