12月になると、あちこちでクリスマスのイルミネーションが飾られています。しかし、クリスマスを迎える前に待降節を過ごさなければなりません。キリストの降誕祭の意味を知らない人々はクリスマスだけを楽しみたいですが、待降節がなければクリスマスは世俗的なことになってしまいます。
夜になると、イルミネーションはきれいな景色を造りますが、人間の心を照らすことが出来るでしょうか? ピカピカするクリスマスのイルミネーションは楽しいですが、本当に希望の種を蒔くことが出来るでしょうか?
待降節は心の暗闇を見るための時です。そのために待降節は「小さな四旬節」であると言えます。人間の心は、深い井戸と同じように、暗いです。その暗さを味わうことは辛い体験ですが、本当の光を見つけるためにその暗さの中に入らなければなりません。
待降節はわたしたちの暗闇を示してくれます。しかし、世間のイルミネーションは、わたしたちの目を眩ませてしまって、自分の「心の飼い葉おけ」を見つけることを妨げます。確かに、暗闇は怖くて、不安なことですが、本当の光を見つけるために一人ひとり自分の暗さの中に入らなければなりません。待降節は暗闇を過ごしても、永遠の光への道です。
聖母マリア、聖ヨセフ、羊飼いたち、博士たちがみんな、自分の暗闇を過ごし、ベツレヘムでキリストの光を見つけることが出来ました。わたしたちもベツレヘムへ行くために招かれています。闇の道を退けないで、信頼してその道を歩んでキリストの光を見つける人は幸いです。
この待降節に、クリスマスのイルミネーションの後ろにあるものをよく見ましょう! そうすれば本当のベツレヘムへの道を見つけることができると思います。その道は罪の赦し、正義と平和、公平と連帯、信仰と喜び、希望と愛情の道です。
12月を過ごして、降誕祭の神秘に入りましょう。
そして、年が変わっても、降誕祭の光が決して変わらないように祈りましょう!
カトリック宝塚教会月報 2011年12月号
待降節を通して降誕祭の光へ
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父