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創世記によると、神様がこの世界を創造された時、七日目に休まれました。六日目に神様は創造の極みとして人間を作られました。創世記の物語を読み続けたら、神様の創造の意味がよく分かります。神様は生き物が働くためにではなく、喜ぶために造られました。ですから、神様は毎日エデンの園に行って、アダムとイブと一緒に散歩しました。罪に陥るまで、人間は仕事の意味を知りませんでした。つまり、創造された目的は働くことではなく、楽しみと喜びです。
創世記の神話は本当にあった出来事ではありませんが、その神話はおとぎ話ではなく、人間の真の本性を教えています。人間の罪は仕事への囚われを起こしています。原罪の為に、働くことが人間の本性を壊し、苦しみの源になってしまいました。そのためにアダムとイブはエデンの園を追われ、苦しんで働いて、自分の疲れと汗で毎日の糧を得なければなりません。現代でも仕事のため疲れすぎて、苦しんでいる人が多いと思います。
キリストは日曜日に復活されました。日曜日は「主の日」として、創造の本来の状態(喜び)に戻るための日です。また、イエス様は休みと安息日の意味を教えてくださって、福音宣教をするために忙しい生活よりも、人とゆっくり語り、楽しい食事をし、祈りと友達の存在を味わわれました。キリストの休みは御父の御心と、人間の心を味わうことです。つまり、休むことは仕事を止めることだけではなく、神様と神様の創造(特に人間)に戻って、エデンの園の喜びを取り戻し、天国の救いを前もって味わうことです。
休むことは信徒の大事な勤めです。十戒の一つの命令ですが、命令というよりキリストの招きです。八月になると、益々暑くなります。宝塚教会では春から始まった新体制の仕事のため、皆さんは疲れていると思います。熱心すぎる態度の中に、また働き過ぎる生活の中に信仰の不足と言い訳が隠されているかもしれません。休まなければ体と心は落ち着かないで、九月からストレスと緊張が色んなトラブルを起こしてしまうかもしれません。ですから、この夏休みに健康のためや司牧のためだけでなく、精神的、霊的な体験のためによろこびのうちに充分休みましょう!
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