カトリック宝塚教会  月報「よろこび」  巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ
2013年3月号 「パパ様の放棄」
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

  教父ベネディクト十六世の辞任の決断はわたしたちを驚かせました。このニュースの不安の中で、すぐ色々な質問が心に飛んできました。パパ様は教会から受けた責任を捨てることができるでしょうか? どうして諦めることを決定しましたか? 確かに、教会は十五世紀からこの体験がありませんでしたので、信徒の不安があるし、批判の声も表れました。一方で、ベネディクト十六世は全世界から理解、支援と祈りのことばを受け、一人ではないことがわかったと思います。わたしたちもこの小さな教会から励ましと信頼のメッセージを伝えたいと思います。

  パパ様の決定は教父の本当の使命と意味を教えてくださると思います。教父の奉仕を放棄することは、珍しくても、カトリックの教理と教会の法に反しません。教父の使命は秘跡ではありません。パパ様になるために叙階の秘跡を受けませんが、司教の叙階を受けてから、他の司教様にローマの大司教として任命され、カトリック教会の教父になります。

  イエス様がペトロに授けた権威は、個人的な特権ではなく、すべての弟子たちに基づく使命です。パパ様一人がキリストの代表ではなく、他の司教様と共に弟子たちの子孫です。教会の頭はパパ様ではなく、キリストだけですから、キリストを示す者は教会の全体です。わたしたちはパパ様に導かれても、励まされても、教会の信仰はパパ様に頼らないで、キリストに頼ることを覚えなくてはいけません。ベネディクト十六世はこの神学がよくわかっていて、誠実に自分の弱さを見て、他の弟子に自分の使命を渡すことを決めました。確かに勇気と力を必要としている決定ですから尊重しなければならないと思います。

  パパ様の放棄は無責任ではありません。ヨハネパウロ二世は、自分の弱さを示しながら最後まで自分の使命を果たしたかったのですが、この決定も問題を起こします:病気になったパパ様は教会の問題に直面するための必要な知恵と力がありますか? これはパパ様だけが自分の良心に従って答えなければならないことです。わたしたちは祈るしかできません。みんなに自分の苦しみを示さないで、静かに姿を消し、祈りながら自分の司教の使命を果たしたいベネディクト十六世にはわたしたちの支援があります。また、次のローマの司教様が全世界に広がっている教会をよく導くことができるように祈りましょう!


Copyright(C) 2011 Takarazuka Catholic Church All Rights Reserved.