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命を信じることは罪と死を退けることです。しかし、私たちはこの世にいる限り、死を拒むことができません。この世にあるすべてのことには限界があります。イエス様だけが死の限界を破って、新しい未来を与えてくださいました。しかし、イエス様でも人間の救いを得るために死の中に入らなければなりませんでした。永遠の命を得るためには一つの道しかありません。その道は信仰の道です。その道を歩む人は幸いです。
11月に私たちは亡くなられた兄弟姉妹のために祈りました。亡くなられた兄弟姉妹の体はこの世に残っています。創造の始めから、亡くなられた人の体はまだこの世の中にあります。実は、地球は大きな墓のようです。しかし、地球は恐ろしい場所ではなく、美しいではありませんか?亡くなられた人の体は失った魂と再び繋がる時まで、寝るような状態がありますが、その寝ることは幻(まぼろし)ではなく、希望の夢のようです。体の復活を信じるのは、塵に戻った体、塵から命へ呼びかけられる体であることを信頼することです。私たちは死者の魂のために祈りますが、復活は魂の永久の存在だけではなく、塵の夢から体を呼び起こすことです。この呼びかけは永遠の命を受けるために行います。
永遠の命とはなんでしょうか?私たちは「命」の意味がだいたい分かりますが、「永遠」のコンセプトは難しいです。私たちは神様が永遠であることを知っています:神様は始めもないし、終わりもありません。しかし、創造されたものは始めがあるのに、どのようにして永遠の命を得ることができるでしょうか?始めがあるものは終わるはずではありませんか?実は、命は神様から受ける恵みとして、神様の特徴があります。創造されたすべてのものは神様の永遠の命に加わるために呼ばれています。つまり、すべてのものは死ぬためではなく、生きるために創造されています。創造されたものは罪と死を通して神様から離れることができますが、自分の命を消すことはできません。一度命を得て、その命を消すことはできません。このようにして、罪と死を選ぶものは、信仰、希望と愛の命の代わりに、暗さ、絶望と憎しみの命を得ます。私たちが自分で決めることです。神様から永遠に離れることか、神様と永遠に生きることか?
信仰年を通して私たちは自分の信仰を強めるために、また命の神ともっと強く繋がるために色々な活動をしました:祈り、社会活動、勉強~ この巻頭言を通して使徒信条の簡単な紹介もされました。しかし、信仰は文書ではなく、命の体験であることを忘れてはいけません。これから私たちの信仰を希望と愛に広げましょう!
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