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◆ ようこそ、宝塚教会へ ◆ |
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宝塚教会の聖堂は、日本建築界の大御所であった村野藤吾氏(1967年文化勲章受章)が、当時の田口芳五郎大司教(後の枢機卿)をはじめ、初代の主任司祭(野口秀吉神父)や信者たちの熱い思いを重く受け止め、“神の家” “祈りの家”にふさわしいようにと設計し、1965年に建築されました。
“大洋を漂い続け、ようやく安住の地をみつけた”…と村野氏自身が語ったように、白鯨をイメージした聖堂です。
1985年2月号の『文芸春秋』誌には「信者の思い、願いを、高くそびえる尖塔から、さらに高く天にもっていこうとするような宝塚教会」と紹介されています。 |
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建築家・村野藤吾氏(1891-1984)は、佐賀県唐津市生まれ。早稲田大学卒業後1929年に村野建築事務所を開設、日本のモダニズム建築を代表する斬新なデザインの数多くの作品があります。主な作品:広島・世界平和記念聖堂、大阪新歌舞伎座、兵庫県立原田の森ギャラリー
(旧近代美術館)、宝塚市役所庁舎、厳律シトー会西宮の聖母修道院など。 |
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◆ 宝塚教会のあゆみ ◆ |
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1949年9月 |
清荒神の旧長谷部邸に30名ほどが集まり、オブレート会のロビタイ神父によってミサが捧げられ、この小さなミサの集いが、後の宝塚教会創立の第一歩となる。
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1951年12月 |
大阪教区直轄となり、畑田長吉神父(司教館付)が専任となる。 |
1956年6月 |
池田実神父(司教館付)に交替する。 |
1960年8月15日 |
建設途上の旧司祭館での被昇天ミサが、現在の宝塚教会の地で捧げられた最初のミサである。
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1960年10月 |
野口秀吉神父が着任する。 |
1960年11月 |
仮聖堂での初ミサが行われる。 |
1963年8月 |
村野藤吾氏の設計で、現在の聖堂が着工される。 |
1965年12月19日 |
田口芳五郎司教司式で献堂式が行われる。 |
1971年5月 |
2階建ての集会室が完成。震災後手直しされ、現在の青年館となる。 |
2005年7月31日 |
信徒会館落成。 |
2010年8月15日 |
創立50周年記念ミサ・記念パーティー |
初代主任 |
野口 秀吉 神父 (1960〜1982) |
第2代主任 |
生藤 達男 神父 (1982〜1985) |
第3代主任 |
小池 二郎 神父 (1985〜1991) |
第4代主任 |
ジャン・メルオー 神父 (1991〜1995) |
第5代主任 |
傘木 澄男 神父 (1995〜2002) |
第6代主任 |
岸 英司 神父 (2002〜2006) |
第7代主任 |
竹内 麟太郎 神父 (2007〜2007.11) |
第8代主任 |
ハーン・フランシス 神父 (2008.3.30〜2009.4) |
第9代主任 |
パスクアル・サオリン・カマチョ 神父 (2009.4〜2015.4) |
第10代主任 |
カレンガ・カペンデ 神父(2015.4〜2020.4) |
第11代主任 |
グエン・シン・サック 神父〈2020.4〜2023.10) |
第12代主任 |
朴 起徳 神父〈2023.11〜) |
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≪帰天≫ |
ミカエル 野口 秀吉 神父 (1994年4月2日) |
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洗礼者ヨハネ ジャン・メルオー 神父 (2001年5月17日) |
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アウグスチヌス 岸 英司 神父 (2006年5月25日) |
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ラウレンチオ 小池 二郎 神父 (2007年7月13日) |
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アウグスチヌス 傘木 澄男 神父 (2018年8月8日) |
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ベネディクト・ラブレ 生藤 達男 神父 (2022年7月11日) |
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