◆ 2025年9月20日(土)
聖アンデレ・キム・デゴン司祭 聖パウロ・チョン・ハサンと同志殉教者(記) ◆ |
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〔そのとき、〕大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、
『彼らが見ても見えず、
聞いても理解できない』
ようになるためである。」
「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」
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(ルカ8章4-15節) |
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◆ パウロ朴神父の「月報9月号」巻頭言 ◆ |
「地の塩、世の光として生きる」
主任司祭 パウロ朴起徳神父 |
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あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
続きはこちら・・・
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◆ 2025年8月15日(金) 聖母マリアの被昇天(祭) ◆ |
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宝塚教会は、被昇天の聖母マリアに捧げられた教会です。
聖母マリアの信仰にならい、いつも主の道を歩むことができますようにと祈りました。
ミサの後、持ち寄りの手作りケーキやお菓子、サンドイッチなどで
お祝いのパーティーを行い、和やかな交わりのひとときを過ごしました。
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◆ 更 新 情 報 ◆ |
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・2025/09/13 今週の予定とお知らせ(9/14-9/21)を掲載しました。 |
・2025/09/06 今週の予定とお知らせ(9/7-9/14)を掲載しました。 |
・2025/08/31 9月の月間予定、「月報9月号巻頭言」を掲載しました。 |
・2025/08/30 今週の予定とお知らせ(8/31-9/7)を掲載しました。 |
・2025/08/24 リンク集を更新しました。 |
・2025/08/24 今週の予定とお知らせ(8/24-8/31)を掲載しました。 |
・2025/08/16 トップページに「聖母マリアの被昇天(祭)」)を掲載しました。 |
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